金の卵を産むガチョウを癒そう
金の卵を産むガチョウの話はイソップ童話の一つだ。
あらすじは、有名な話だから、知っていると思う。
とにかく、ざっとはこんな話だ。金の卵を産むガチョウを手に入れた人が、もっと金を手に入れようとした。きっと腹の中には金が詰まっているに違いないとガチョウのお腹を裂いたところ、体の中はふつうのガチョウだった。しまったと思ったが、もうガチョウは死んでしまっていて、この人はそれ以後、金の卵を手に入れることができなくなった。
今回はこの話で、ガチョウの体調が悪くなっているときにどうするのかを考える話だ。
ガチョウが病気になっている
体調が悪くなっていると言っても、病気になっているのは、実際にはガチョウそのものではない。気候システムだ。
気候システムは僕たちに暮らしの基盤を与えてくれる。気候システムが与えてくれるものごとを金の卵だと考えてみよう。ガチョウが飼い主に金の卵を生んでくれたのと同じだ。
僕たちに金の与えてくれる提供する気候システムがおかしくなり始めている。
気候変動の兆候は、いろいろなところに見えるが、基本的には以下のIPCCの報告を見てもらいたい。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書 (出所:「環境省_気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書(AR6)サイクル」、http://www.env.go.jp/earth/ipcc/6th/index.html )
ガチョウをどうするのか
病気になっているガチョウをどうするのか、人によって対応が違うので、タイプ分けしておく。
イソップ童話では、もっと儲けようとしてガチョウのお腹を裂いて殺してしまう。 気候変動ではどうなんだろうか。気候システムは自然環境の循環メカニズムから生まれている。その自然の循環メカニズムを壊すことが、ガチョウを殺すことに相当する。
さて、今、ガチョウが死にそうになっているとしよう。みなさんはどうするだろう。
- 多少無理させてでも、生きている間に最大限の利益を得ようとする
- 最低限の延命をして、生きている間に最大限の利益を得ようとする
- ガチョウを癒やそうとする
- 新しいガチョウを生みだそうとする
- 誰かが対応してくれると思い、なにもしない
生きている間に最大限の利益を得ようとする
1と2のタイプは、非常に似ている。 1のほうがあからさまだし、2は申し訳程度に延命措置をする。2の方が「努力してます」感があるだけに質が悪いかもしれない。
癒やす
難しいけど、大事なこと。
気候変動はもはや防ぎようがない。では、諦めるのか?
新しいガチョウ
賭けだ。 気候変動はそんなにオッズのいい賭けなのか。
気候変動対策にタイムリミットをつければつけるほど、ギャンブルに乗りたがる人は増える。
技術者は当然このギャンブルにのっていいし、乗るべきだ。でも、一般の人がそこに賭けて、何もしないのは違う。
放置
多くの人はこれだ。
「かわいそうだね」と同情するとか、みかけたら声をかけるとかはするが、それ以上のことはしない。 気候変動では、気候変動を防止しようと奮闘する人を口だけで応援し、自分では何もしない。あるいは、ちょっとだけ省エネしたり、レジ袋を持参したりして、やった気になる。
ガチョウを癒そう
やはり、ガチョウ問題を解決するためには、ガチョウを癒す必要がある。
気候変動でも同じだ。気候システムあるいはそのもととなる自然の循環システムを「癒やす」というと、地球が生きているように思える。
地球が生きているといえば、ガイア仮説を想起する。 ここはラブロックの言うように、「あたかも生きているような」という意味で「癒やす」も使おう。「あたかも癒やすかのような」ということだ。
以前の状態というか、人為的な気候変動が起きていない状態を「正常な」状態とみなして、そこに近づけることを「癒やす」と言っている。
具体的な方法は、本稿では書ききれないので、次回以降に譲る。
とにかく、放置とか延命して搾り取ろうではなく、癒やす方向に向けた行動を取る人になろうというのが、本稿の意図だ。
気候変動対策というと、いろいろな情報が出ていて何をしていいのかわからなくなる。 対策の評価基準はあくまでも「ガチョウを癒やしているか」だ。「〇〇と〇〇の共存」的なのは問題の深刻さを理解せず、表面的な対策で終わらそうとする傾向がある。
大切なのはCO2の排出を減らすことと、気候変動の影響を緩和する自然環境の回復だ。